- 2005-7-30
- コラム
先日、おうかいがいさせていただいた大阪のクライアント様から、「ブログを楽しみに読んでいるんですよ。お会いするのは1月に1度ですけど、何だか頻繁にお会しているようです」と、うれしい声を頂戴しました。
応援してくださる方がいてくれるというのは、本当にうれしいことです。
皆様、本当にありがとうございます。
今週は、投稿の間隔があいてしまいましたが、出来るだけ投稿していきたいと思います。
それでは、今日も元気にいってみましょう!
今日は、京都のクライアント様でのコンサルティングをおえて、先ほど、東京へ帰ってきました。
夕食を摂る時間が無く、新幹線のホームで弁当(萩の家の「精進弁当」)を購入したのですが、今回はその弁当のことをご報告したいと思います。
コンサルタントという仕事柄、不規則な生活になってしまいがちであるため、食生活には特に気をつかうようにしています。
動物性タンパクや塩分の多い食事は、控えていることから、この弁当にしてみました。
この弁当の蓋をあけて、食べようとしたところ、1枚の紙に下記のような文章が書かれていました。
その文章とは、禅の修業僧が食事を受ける際の「5観の偈(げ)」というものです。
内容は、下記の5つの文章からなっています。
■一には功の多少を計り、彼の來所を量る。
私達がいただく食事はいかに多くの人の手数と労力が費やされているか、その苦労を思い天地自然の恩恵を忘れてはならない。
■二には己れが行徳の全欠を忖って供に応ず。
自分の人格を完成せんが為、又、自分の業務を完全に勤める為に食事をするのである。自分を省みて欠点は無いか反省して頂戴する。
■ 三には心を防ぎ過を離るることは貧等を宗とす。
貪りの心、怒りの心、因果の道理のわからぬ愚痴の心で食事をしてはならない。
■四には正に良薬を事とすることは形枯を療ぜんが為なり
日々、食事を摂るのは飢えや渇きをいやし肉体の枯死を免れる良薬と思い、平和な思い、平和な心持で食事をする。
■五には成道の為の故に今此の食を受く
私達が食事をいただくのは、人間として大道を成就せんがためなのである。人生の真の意義を見失って、一生をムダにすごさないよう成道の為に食事する。
このようなありがたい言葉を読んだ後に食べるのと、何もなく食べるのとでは、同じ食事でも食べた後の満足感は全く違うものです。
おかげで、食事をすることを「ありがたい」と思いながら、色々なことを思い巡らせながら、食事をすることができました。
このことは、どんな業界でも言えることだと思います。
ただ、モノを売るのではなく、物語を売ることで、その商品の価値は、何倍にもなるのです。
歯科医院でも同じことです。
虫歯を治療するだけでなく、その価値を伝えることのできるツールを作成して、患者様にみていただく、お持ち帰りいただくだけで、満足度は違ってくるものです。